「働くことは美徳だよね」という考え方は何となくあると思います。
特に日本では、よく働く人ほど立派で、今でこそ減ってはきましたが、長時間働くこと自体が評価されがちな空気がまだあります。
もちろん、誰かが働いて社会が回っているのは事実ですし、働くことそのものを否定したいわけではありません。
ただ、「働く=偉い」「働かない=怠けている」という単純な構図には、ずっと違和感を覚えてきました。
いつから働くことが美徳になったのか
よく考えてみると、働くことが無条件で美徳とされるようになったのは、そこまで昔の話ではない気がします。
高度経済成長期以降、たくさん働いて、たくさん生産して、たくさん消費することが正義だった時代です。
その時代背景では、長時間労働も自己犠牲も「頑張っている証」として肯定されていました。
でも、今は社会も経済も、当時とはかなり状況が違います。
それでも価値観だけが、そのまま残っているように感じることがあります。
働いているかどうかで人の価値は決まらない

個人的に一番しっくりこないのは、働いているかどうかで人の価値を測るような空気です。
フルタイムで働いている人は立派で、そうでない人はどこか劣っている、という無言の序列。
でも冷静に考えれば、人の価値はそんなに単純なものではないはずです。
どう生きているか、どんな時間を過ごしているか、何を大切にしているかは、人それぞれ違います。
働いていなくても、穏やかに暮らしている人もいますし、働いていても常に苦しそうな人もいます。
どちらが正しいという話ではなく、単に比較できないだけだと思っています。
「頑張っている感」が評価される不思議
日本では特に、成果よりも「頑張っている感」が評価される場面が多いように感じます。
忙しそうにしている人、残業している人ほど、なぜか評価が高くなるような空気です。
でも、それは本当に健全な状態なのでしょうか。
無理をして体調を崩したり、精神的にすり減らしたりしてまで、続ける必要があるのかは疑問です。
働くこと自体が目的になってしまうと、何のために生きているのか分からなくなることもあります。
働く量と幸福度は必ずしも比例しない
たくさん働けば幸せになれるかというと、必ずしもそうではありません。
むしろ、働きすぎて余裕を失っている人も多い印象です。
僕自身は、自由な時間が多く、自分の好きなことに集中できているときに、幸福度が高いと感じます。
その時間を確保するために、働く量を減らすという選択をしているだけです。
それは怠けているというより、優先順位の問題だと思っています。
働かないことを正当化したいわけではない
ここまで書くと、「働かないことを正当化しているだけでは」と思われるかもしれません。
でも、そういうつもりはありません。
働くことが好きな人や、仕事にやりがいを感じている人を否定する気は全くありません。
それはとても素晴らしいし、尊敬されるべきことだと思います。
ただ、全員が同じ価値観で生きる必要はない、というだけの話です。
美徳は人それぞれでいい

働くことを美徳と感じる人がいてもいいし、そうでない人がいてもいい。
それぞれが納得できる形で生きていれば、それで十分だと思います。
誰かの価値観を基準に、自分を無理やり合わせる必要はありません。
自分にとって何が心地よいかを考えて選ぶことのほうが、ずっと大切だと感じています。
働くことは手段であって、目的ではない。
少なくとも、僕はそう考えています。

